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山田太一さんのご冥福を祈る 「人に迷惑をかける勇気をもたなければならないこともある」 

 ここ2か月近く、体調がすぐれず何もする気になれなくて困っていました。
 もう12月なんですね。少しずつ気分の良い日が多くなってきています。ボチボチ生活のリズムを整えていかなければと思っています。

 脚本家山田太一さんがお亡くなりになりました。根底に社会性を忍ばせ、人間の弱さやお互いに言えないようなところに着目したかれの作品が好きでした。
 ドラマでの「周りの人に迷惑をかける勇気を持たなければならないこともある」という体の不自由な人への励ましのセリフを忘れることはできません。社会に対する「障害理解」という山田さんのメッセージでもあったのでしょう。


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大谷選手、おめでとう !!

11月17日(金)
 大谷選手2度目のMVP。阪神の日本一に続いて、日本全体が盛り上がっています。共に喜びを分かち合いたいと思っています。
 一方で、テレビでみるガザやイスラエルの罪のない人たちの悲惨な現実を自分の問題として考えていかなければと思っています。
 10月10日以来、大きな仕事に非区切りついてホッとしたのでしょうか。疲れが出てきて、体調不良の日が続きました。11月10日の朝、高熱に襲われ病院へ。インフルエンザと診断される。
 11日の朝4時にトイレに行く途中思いっきり転んで頭部を負傷。今までに経験したことのない多量の出血。血が止まらないこともあり11時に病院へ。
手術中、傷が深いこともあってか、縫っている途中に針が折れてしまう。なかなか見つからず、レントゲン室に移動し針の所在を確認、再びオペ。痛みが増してきて麻酔を追加…。
 抜糸は来週の予定ですが、昨日あたりから体全体が少し楽になってきました。額の損傷なのに、両眼が腫れ、目の周りが充血してきたり、人間の体は微妙なんですね。今回のアクシデントを私の人生の最後にしたいと思っています。


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気合で乗り切る!!



10月30日(月)夜の10時半

 トシのせいでしょうか、一週間過ぎ去るのが益々早くなっているように錯覚します。

 10月10日に大きな仕事の一区切りがついて、そのあと11日・12日・13日、25日・26日・27日と長時間の仕事が続きました。やはり、疲れたというか、もう何もしたくないという気持ちに襲われました。ラグビー、野球等々のスポーツ番組に救われています。
 今月もあと一日。11月、12月と授業が続きますが、もうひとつ大きな仕事のスタートです。体力をカバーできるのは気合い(気力?)しかないですね。
 お互いに一歩も引かない、ハマスとイスラエル、ロシアとウクライナのトップ。戦争に関係のない民間人のあまりにも悲惨な様子をテレビで見るたびに、心が痛みます。


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「特別全国障害者スポーツ大会 燃ゆる感動 かごしま大会」 開会式


11月29日(日)夜の9時半

 日曜日のお昼。サンエーなどのお店の食事処はどこも超満員。昨年に比べずいぶん値上がりしているような気がしますが、景気がいいということなのでしょうか。

 テレビで、「特別全国障害者スポーツ大会 燃ゆる感動 かごしま大会」の開会式観ました。みんな元気そのもので、さわやかな気持ちになりました。



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『 争いや分断を乗り越えるために 』    ―相互承認という目線からのメッセージ 155―

10月23日 夜中の2時

 長年、ちょっと大げさですかが、子どもたちの未来と世界の平和をを願いがながら書き溜めてきた新聞投稿等々の雑文の中から、約7年分を下記のような「随筆集」(第1章の1と2のように)として再整理してみました。

   タイトル『 争いや分断を乗り越えるために 』
   ―相互承認という目線からのメッセージ 155―

           目 次

第1章 人権思想の台頭 (2016~2017)

1 ♪安里屋ユンタ♪と母
2 過去を封印した父
3 教育勅語と平和憲法
4 法を破らなければ何をしてもいいのか
5 ヘイトスピーチへの警鐘
6 生命・人類は多様な遺伝子によって維持されてきた
7 人権思想の台頭
8 「津久井やまゆり園」事件
9 目の前の子どもの実態の変化
10 障害理解のための7つの視点
11 はじめて「慰霊の日」を知る
12 障害児の保護者の苦悩
13 名前(固有名詞)で呼び合うということ
14 教育は、特定の政党やイデオロギーに支配されてはいけない
15 教育公的支出が最下位
16 わからなくも楽しい授業
17 「障害者の権利条約」の障害観
18 戦争体験者の高齢化
19 「新教育基本法」の公布
20 特別支援学校と保育園の交流学習
21 初の日本ダウン症会議
22 みんな違って みんないい
23 睡眠の「昼夜逆転」
24 障害児の転入・転出状況
25 人権とは思いやり
26 障害者週間
27 サーロー節子さんとカズオ・イシグロさん
28 コスタリカと琉球王国
29 教員の仕事は、子どもが善くなってナンボの職業
30 読谷村立古堅小学校の教育実践
31 思想家 鹿野政直さんの主張
32 共感的指導方法
33 行動する哲学者 鶴見俊輔さん
34 劇団「お笑い米軍基地」
35 誰も排除しない教育

第2章 「中から目線」で考えよう (2018)

36 自立活動と人権教育
37 学校は「小社会」
38 心の痛みがわかる教員
39 学ぶ権利を保障する
40 公権力と潔く距離を保つ
41 フル・インクル―ジョンを目指して
42 働きたくても働けない人もいる 
43 生産性がなければ生きていく資格がないのか
44 届かなかった手紙
45 純粋平和主義に賛同
46 バインコーチの指導法
47 「この道はいつか来た道」にならないことを祈る
48 第4次改造内閣への懸念
49 聴覚障害のある教諭の挑戦
50 教員の過労死防止策
51 ディスコミと多様性から教育を考える
52 応援があったから走れた
53 基本報酬を引き下げないで
54 ジャーナリスト魂に拍手
55 オンリーワンの教育 
56 戦争孤児と靖国孤児
57 司馬遼太郎さんの懸念
58 今なお侵略への反省を忘れない
59 命の尊厳と性教育
60 沖縄盲学校と沖縄工業高校建築科の交流
61 人に迷惑をかける勇気
62 中村桂子さんの「中から目線」
63 過ちを改めないのが過ち
64 空手の王者 喜友名選手の動画
65 フルマラソンに初挑戦
66 那覇市役所のAさんの心温まる対応
67 南部商業高等学校・やえせ高等支援学校の感動的な卒業式
68 鏡が丘特別支援学校浦添分校の涙そうそうの卒業式
69 美術展全国第1位おめでとう!!
70 イージス艦より教育に投資を!!
71 差別解消法の推進目指して
72 「せんせい どこさいぐの」
73 沖縄盲学校の創意工夫に満ちた入学式

第3章 みんな「中翼(仲良く)」( 2019~2020)

74 小出義雄さんの指導法
75 国民の税金の有効活用を!!
76 特別な配慮が必要な子どもたち
77 「こんにちは!!」
78 優しくなければ生きていく資格はない
79 2人の重度障害者が初当選
80 侵略と被爆
81 障害は個性
82 安心できる人と居場所の確保
83 二次障害を防ぐために
84 対馬丸撃沈の悲劇を忘れない
85 命どう宝と朝鮮人虐殺
86 13人の推理作家に拍手
87 「騒音」と「生活音」
88 南商WITHやえせマルシェ
89 匿名から個人名へ
90 コスタリカに学ぶ
91 常識、当たり前に固執しない
92 この国のどこに正義が
93 お笑い芸人 小波津正光さんの「中翼(仲良く)」
94 教育の限界を示唆する医学的知見
95 誰もが障害児として誕生する可能性がある
96 始めに結論ありきでいいのか
97 「百歳まで生きてください」
98 映画で世界平和
99 注文をまちがえる料理店
100 朝刊は豊かな朝食
101 私はアスリートである前に一人の黒人の女性
102 変わるべきは国民か
103 日本学術会議候補者の任命拒否の撤回を!!
104 お金とフェイクによる分断
105 分断ではなく融和を!!
106 増田明美さんの名解説
107 夏目漱石「権力の行使には義務が伴う」
108 映画「ゆうやけ子どもクラブ!」
109 半藤一利さんの死を悼む
110 一部の政治家のウソと「特別な教科 道徳」
111 辞任して新たな体制づくりを!!
112 朝妻彰さんの受賞を喜ぶ
113 強制も放任も指導とはいわない
114 プライドを持ってプライドを捨てる
115 東日本大震災の復興を切に願う
116 教員になって本当に良かった
117 世界自閉症啓発デー
118 信頼関係に基づいた平和外交に全力を !!

第4章 武器ではなく 命の水を!! (2021~2023)

119 日本国憲法は、国民の幸福のバロメーター
120 母親の胎内で経験する5つの感覚
121 5つの興味(本能)の開発
122 初めて「おばあちゃん」と呼ぶ 
123 紙おむつの給付
124 美辞麗句ではなく補償の実行を!!
125 戦争に敵も味方もない
126 政府による公助が急務
127 政治不信への決別に期待
128 残留孤児と私
129 パラアスリートの活躍に拍手
130 中村哲医師「武器ではなく命の水を!!」
131 重度重複害児の感染防止
132 大谷翔平選手の81マス
133 頂点同調主義からの脱出
134 歌って、踊って、しゃべるという文化
135 学校と地域社会との連携
136 カンボジアの「幼い難民を考える会」
137 インクルーシブ教育システムの推進
138 喜寿を迎えて
139 沖縄復帰50年に思う
140 県民の主体性が問われる
141 さりげなく登校を励ます先生
142 作家野坂昭如さんの言葉
143 先生や友だちは元気で明るい
144 「お母さん 生まれてきてごめんなさい」
145 障害者雇用「代行」
146 戦争が始まってからでは遅いのだ 
147 学校は楽しい
148 スポーツに政府の争いを持ち込むな
149 玉城淳さんの病状の回復を願う
150 卒業式 手話で合唱
151 障害者にとって住み心地の良い社会とは
152 信頼に基づく平和外交を!!
153 地球はひとつ
154 暮らしを大切にする世の中に
155 みんなはひとりのために ひとりはみんなのために

第1章 人権思想の台頭        2016~2017
1 ♪安里屋ユンタ♪と母
 私は、1945(昭和20)年4月26日に旧満州国新京(現在の中国吉林省長春)に生まれた。8月15日終戦。 日本に引揚の途中、母親と2年ほど難民生活をおくり宮城県に戻った。
 母親や周囲の大人から、生きて帰れたのは奇跡に近いということや当時の言語を絶する悲惨な話を聞いて育った。「武力による一般ピープルの幸せはない」「いかなる理由があれ、絶対戦争してはいけない」。「争いからは何も生まれない」このフレーズが戦後の私の生きる原点となった。
 当時、どこの家庭も食料は少なく経済的に貧しかった。私が幼いころ、悲しくつらい時でも、母はいつも笑顔で歌っていた。♪上海帰りのリル♪♪支那の夜♪等々、かなりの数に上る。しかし、幼い心に響き、どうしてもタイトルがわからない一曲があった。
 縁あって、2007年の4月に憧れの沖縄に居を移した。初めて来沖したその日、モノレールで儀保駅に向かう途中、安里駅で懐かしいメロディーを耳にした。何と、母が口ずさんでいた歌であった。学生さんに歌の名前を尋ねたら♪安里屋ユンタ♪という。母は、旧満州か朝鮮半島での難民生活時代、沖縄の人に聞いて覚えたに違いない。
実は5年前の11月、沖縄盲学校の文化祭を見に行った時、視覚障害のある児童生徒が三線で演奏した♪安里屋ユンタ♪を偶然に拝聴。とどめもなく涙が流れた。その日の真夜中の2時頃に、弟から母親が永眠したとの電話。享年89歳であった。
 ♪安里屋ユンタ♪を安里駅で聴くたびに、 ありし日の母の姿を思い出す。現実に母はこの世にいない。それでも、母は心の片隅に生きているのである。

2 過去を封印した父
 父が他界して15年になる。父には謎めいたことがあった。お葬式のあと、古ぼけた封筒が箪笥の奥から出てきたのもその一つであった。送り主は早稲田大学出版部。宛名は仙台市の父の奉公先で「卒業證書在中」とあった。驚いたことに母も初めて見たという。
 證書には「右本大學商業科講義録ニ就キ成規ノ課程ヲ……依テ成業ヲ證ス」。日付は昭和11年10月1日、早稲田大学総長 田中穂積と記されていた。高等小学校卒の父がなぜこのような證書を手にできたのか。なぜ秘密にしておいたのか、今なお闇の中にある。
 母によると、父は旧制中学に合格したものの、実家が倒産し入学を許されず、仙台の酒屋に奉公に出された。母と結婚し、関東軍の事務関係の仕事に就いたが、昭和20年8月15日敗戦。重要書類を焼却するために関東軍に残った。母と乳飲み子の私は日本への引き揚げの途中、平壌の近くで約2年の難民生活を送ることとなった。
 明るく多弁な母と対照的な父は、引き揚げ後は卒業證書のこと、奉公時代の話など、一切語ることはなかった。私は関東軍に関する話を詳しく聴いておきたかった。関東軍という組織と個人としての考えが分断され、葛藤していたのかもしれない。母の話によると、帰国後に父は公職に就くチャンスはあったにもかかわらず、頑なに拒んだという。過去のことを全て封印したまま79歳でこの世を去った。
 戦後、沈黙し続けた父が背中で私に伝えたかったのは何か。それは「平和」という二文字ではなかったのか。「二度と戦争してはならない」。私はそれを父の遺志と受け止めた。
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naoki426

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